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    うまい工合だと感じた房一はすかさず云つた。

    練吉若夫婦は診察所の二階を居部屋にしていた。そこと正文夫婦の住む母家おもやとの間には一見して判る気風の相違が現れていた。正雄はそこへ近づかないやうに云ひふくめられていた。

    相手が急に三人にふえたためか、柵の中の長身な男は一層興奮した。

    練吉はまだ眼鏡を手にしたまゝ、不自然に大きく見える眼を極端にぱちぱちさせ、ぢつと房一の顔をのぞきこんでいた。彼は今さつき、突然の房一の来訪でよび起されたのである。

    「往診?ふむ、ふむ」

    「をかしいから笑つたのだ」

    それで一たんは静まつたやうではあつたが、その中にはかへつて不気味な気配けはいが潜ひそまつていた。黒くかたまつた人達はその場を去らうとはしなかつた。房一が向ふへ行つている間に、構内の人影はすつかりいなくなつてしまひ、黒い建物の奥にちらついていた官舎の明りも見えなくなり、焚火も消されたが、それはしばらくするとちよろちよろと又燃え立ち、人気のなくなつた構内の庭を少しばかり明くしていた。が、下方では殺気立つた空気が暗らがりの中に暗く、圧するやうに籠つていた。あちらこちらに人はかたまり、がやがや云ひ、或る塊りは黙りこみ、その間を何人かが動き廻つていた。ふいに、投石したのかそれとも何か中の人が躓いたのか、建物の方でチヤリンといふ硝子ガラスのこはれる音が立つた。一所では焚火がはじまつていた。それは猛烈な勢ひで高く燃え上り、かこんだ人達の顔を赤鬼のやうに照し出した。が、すぐに制止され、小さくなつたが、又しばらくすると以前にまして燃え立つた。方々に大きい焚火、小さい焚火がはじまり、そのまはりに集つた人達はもうどうしても動く気配はなかつた。

    それまで房一は、加藤巡査を通じて出張所と話をつけ、何らかの形で収拾させたいと考へていたのである。が、彼の素速い判断力は今はその余裕もないことを見抜いた。

    「どういふことです、わたしにはさつぱり――」

    「ほんとうに火事があつたのかい」

    と訊くと、遊び友達と河へ行つたといふ返事であつた。

    それ以来、逗留客は奥の客便所へゆくことを嫌って、宿の者の便所へ通うことにしたが、根津は血気盛りといい、かつは武士という身分の手前、自分だけは相変らず奥の便所へ通っていると、それから二日目の晩にまたもやその戸が開かなくなった。

    「まあ、のみなさい」

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